「情報処理技術遺産」や「分散コンピュータ博物館」とは、 一般社団法人情報処理学会の "日本の歴史的コンピュータとその開発に携わった人々に関する史料を集めたバーチャル博物館「コンピュータ博物館」" における認定制度によるものです。
1954年パラメトロンが発表されると同時に、電電公社電気通信研究所(現 NTT研究所)は並列演算方式による実用計算機の試作に着手し、1957年に我が国最初のパラメトロン計算機MUSASINO-1を完成させました。この試作機には、パラメトロン約5,400個が使用され、約1,500万円の費用がかかりました。 MUSASINO-1は、研究所内の計算サービスに使用されていました。けれども、手作りの試作機であったため、ハードウェア障害も多く、保守運用に多くの労力が必要でした。そこで、1960年、まったく同じ論理構成で、電子交換機用に実用化された眼鏡形パラメトロンを使用した商用機MUSASINO-1Bを完成させました。 同機は、後に富士通信機製造(現富士通)により、科学計算用中型機FACOM 201として発売され、まさに、戦後日本におけるコンピューター開発の原点となったのです。 情報処理学会 情報処理技術遺産公式HP http://museum.ipsj.or.jp/heritage/musasino_1b.html 1968年、電電公社は、データ通信サービスの急速な普及に対応するため、ネットワークで使う大型コンピュータの早期実現をめざし、DIPS(Dendenkosha Information Processing System)開発計画を開始しました。国産汎用機メーカとの共同研究体制をとり、標準化、オンライン用電算機システムの実用化等を主なねらいとしていました。DIPSは、データ通信サービスや社内情報処理システムに広く用いられ、本体を始めとした通信制御系、ファイル系、システム制御系、ソフトウエアなどによって構成されています。 情報処理学会 情報処理技術遺産公式HP http://museum.ipsj.or.jp/heritage/DIPS-1.html DIPS4150形磁気ドラム装置は、DIPS−1の高速補助記憶装置として、1968年に主記憶装置(磁気コアメモリ)と磁気ディスク記憶装置のアクセスギャップを埋めるためのバッファメモリとして開発された。記憶容量4メガバイト/装置、平均アクセス時間10.3ミリ秒、情報転送速度2.2メガバイト/秒で、当初4キロバイト/セクタ、トラック当たり10セクタであったが小単位の記憶サイズに適合させるため、256バイト/セクタ、トラック当たり64セクタの改セクタ磁気ドラム装置が開発されDIPS−1のバッファメモリとして、多くのシステムに導入された。 情報処理学会 情報処理技術遺産公式HP http://museum.ipsj.or.jp/heritage/DIPS4150.html NTT技術史料館3階 技術をさぐる「Vコンピュータとモバイルのひろば」および「H 文字・画像の通信とサービスの技術」の一部が、"歴史的なコンピュータの展示エリア" として「分散コンピュータ博物館」に認定されました。 情報処理学会 分散コンピュータ博物館公式HP http://museum.ipsj.or.jp/satellite/NTT_gijyutu.html |