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フロアガイド

1階フロア

技術革新と多様化の時代(1970年代から)

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3.技術革新と多様化の時代(1970年代から)

A.ノードの技術

B.オペレーションの技術

C.トランスミッションの技術(伝送、線路)

C.トランスミッションの技術(無線)

D.ファシリティの技術(建築)

D.ファシリティの技術(電力)

I.サービスとネットワークひろば

地下1階のフロアの写真

1970年代から80年代半ばにかけての電気通信事業の歩みを紹介しています。万国博覧会で華々しく幕を開けた1970年代。日本は高度成長期から成熟期へと入っていき、物質的な豊かさがある程度達成された今、人々のニーズより高度で多様なサービスへと向けられるようになります。この頃、電気通信の技術もまた、新しい段階に入ろうとしていました。交換機は電子交換機へと進化。コンピュータネットワークによるデータ通信サービスが始まり、移動通信サービスの自動車・携帯電話も登場。技術が次々に夢を実現にしていく時代でした。

ワイヤレス電話の展示写真

大阪万国博覧会

1970年に大阪で開かれた万国博覧会の電電公社パビリオンには、ワイヤレス電話とテレビ電話が登場しました。70年代は、長く電信電話であった電気通信の世界に新しいサービスが次々に登場し、多様な情報通信の世界へと移行していく時期となるでしょう。

本格的な移動体通信への始動

万国博のワイヤレス電話は、今のコードレスホンの原型でした。本格的な自動車・携帯電話の開発はその後精力的に進められ、世界初のセルラー方式による自動車電話サービスが始まります。それは小型化してショルダーホンとなり携帯電話となり、今日のモバイル時代を用意しました。

オフィスの近代化とデータ通信サービスの登場

オフィスの風景も変わっていきました。構内交換機は自動化が進み、ビジネスホン(ボタン電話)が登場します。ファクシミリが登場して、事務の新戦力となっていきます。オフィスオートメーション(OA)が合言葉となり、タイプライタに代わりワードプロセッサが、パンチカードシステムに代わりコンピュータが登場してきます。大型コンピュータをネットワークを介して共同利用しようとするデータ通信サービスも、この時期に発展した新サービスです。初期の公衆データ通信サービスには、プッシュホンを使う計算サービスやデータ端末を使う販売在庫管理サービス、科学技術計算サービスが、金融機関向けなどの専用データ通信サービスも拡大していきました。電電公社は電信電話だけでなく情報処理サービスも提供するようになり、銀行の窓口など社会生活の風景も変化していきます。

ケーブル火災の教訓

1984年、東京世田谷電話局のとう道で発生した火災は、電気通信が社会生活の基盤であることを改めて認識させました。不通となった加入電話約8万9000。専用線も約3000回線不通となり、特に銀行のオンラインシステムがストップするなど、コンピュータ時代の問題点が浮き彫りになりました。この火災を教訓に、電電公社はとう道の防火対策を根本的に見直すことになります。

電電公社のコマーシャルが語る新時代

積滞が解消し全国自動即時化が達成されると、電話は必需品であるとともに、心をつなぐメディアとして役割が大きくなります。オフィスでは、通信手段の多様化が進みます。変化するマーケットの声に対応しつつ、電電公社は公共的な使命を果たします。沖縄復帰に先立つ電話・テレビ中継回線の開通からマルチメディア時代に応えるための技術開発まで。この状況は、当時のテレビコマーシャルに端的に現れています。

展示概要

プッシュホンやタウンページの展示写真

時代の概要:時代を語るデータ・写真・電話機・電話帳

積滞が解消し、全国ダイヤル通話が実現する。データ通信にも対応するプッシュホンや情報源としてのタウンページが時代を語る。

時代のスケッチ

ワイヤレスホンの展示写真
未来技術遺産にも登録された「ワイヤレステレホン」

大阪万博と自動車・携帯電話の開発

コードの無いワイヤレスホンを不思議そうに使う人。開発初期の自動車電話はトランクに大きな装置。それがショルダーホンに。ポケットベルも登場。

ファクシミリの展示写真

オフィスを変える新しいサービス

小規模のオフィスを便利にしたボタン電話。大きなビジネス用G2機がファクシミリのはしり。書類も図面もスケッチも送れる。

データ通信機器の展示写真

データ通信サービス

音声で計算の答を聞いたプッシュホン600P形電話機。最初期のデータ端末DT-211A宅内装置。そして銀行のテラーマシン。

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