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2階フロア

ディジタル技術とマルチメディアの時代(1980年代半ばから)

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4.ディジタル技術とマルチメディアの時代(1980年代半ばから)

E.アクセス系システムと所外インフラの技術(線路、伝送、無線)

E.アクセス系システムと所外インフラの技術(土木)

F.ユーザ機器の技術

G.NTT技術のひろがり(基礎・基盤)

G.NTT技術のひろがり(ソフトウェア、国際標準化、海外活動、環境保護推進)

II.アクセスとターミナルのひろば

2階のフロアの写真

1980年代半ば以降の電気通信事業の歩みをご紹介しています。バブル経済の崩壊、阪神・淡路大震災などにより、今までの価値観やさまざまな社会の枠組みが問い直されました。1985年にはNTTが誕生し、他の通信会社と競争し協調する時代が始まったのです。技術の面では、ディジタルの時代へと大きな変化が進み、音、映像、データが同じネットワークで扱えるようになりました。また、移動通信の急速な発展やインターネットの普及でネットワークで結ばれた新しい個人の時代が始まりました。

電電公社からNTTへ

1985年、日本電信電話公社は日本電信電話株式会社、民営化されたNTTとなりました。全国の施設でダイナミックループが掲げられ、<お客様窓口>の看板が競争と協調の時代を告げています。新規参入通信事業者との接続工事も進んでいます。

ネットワークのディジタル化と光化

1984年、電電公社は東京三鷹を舞台に<INSモデルシステム>の実験を行いました。1979年に電電公社が提唱した<INS構想>はサービス統合ディジタル化を着実に進め、1997年にディジタル化を完了します。ネットワークのディジタル化のもう一つの側面は、伝送容量の飛躍的な増大への道を開いた光伝送方式の導入でした。

モバイルネットワークとインターネット

自動車電話から始まったセルラー方式の移動体通信は急速に発展し、固定電話網に匹敵するもう一つの巨大ネットワークへと成長していきました。移動機の小型化、電波利用効率の向上による加入者増への対応、ディジタル化による新サービスの登場などによって高度化したネットワークは、インターネットの普及を取り込んで新サービスを展開、PHSや衛星通信とともにディジタル無線の新時代を開きました。マルチメディアの時代は、固定電話網でもモバイルネットワークでも始まっています。

阪神・淡路大震災

1995年1月17日未明、神戸市を中心とする阪神・淡路地方を襲った大地震は、電気通信網にも大きな被害をもたらしました。孤立防止と早期復旧に大きな役割を果たしたものに小型化され可搬形となった衛星通信地球局があります。NTTは、ヘリコプターや海底ケーブル敷設船まで出勤させて資材器材と人員を送り、家屋倒壊などで電話復旧の見通しの立たないケースを除く30万回線について予定通り1月末までにサービスの復旧を完了しました。

個人と個人が高度なネットワークで結ばれる時代

阪神・淡路大震災ではボランティアの活動が注目を集めましたが、情報伝達面でもインターネットを通じて個人から発信される情報が大きな役割を果たしました。光アクセスシステムなど高速回線の普及で動く映像の送受が自由になれば、個人から送りだされる映像がマスメディアをリードしていく時代が来るかも知れません。

展示概要

ディジタル式公衆電話の展示写真

時代の概要:時代を語るデータ・写真・電話機・電話帳

ディジタル化の進行と完了を示すデータ。多機能化された電話機やテレビ電話機、CD-ROMの電話帳が時代を語る。

時代のスケッチ
民営化NTTの発足

ダイナミックループのCIマニュアルや民営化後のコマーシャルが示唆する競争と協調の時代。直前に行われたINSモデルシステムの実験。

ディジタル式ファクシミリの展示写真

ネットワークのディジタル化完了

1997年、基幹ネットワーク全ノードのディジタル化完了。光化は幹線伝送路からアクセス系へ。

街で携帯電話を持つ人々を表した展示写真

モバイルマルチメディアへ

携帯電話の普及からモバイルマルチメディアの時代へ。PDA端末やノートパソコンが街頭に出たのに続いて、携帯電話が情報端末に。

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