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2階フロアの光ファイバ製造技術「VAD法」
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OB運営サポーターについて

情報処理技術遺産に認定された
パラメトロン計算機「MUSASINO-1B」

パラメトロン計算機「MUSASINO-1B」の写真

3階「Ⅲコンピュータとモバイルのひろば」に鎮座しているパラメトロン計算機「MUSASINO-1B」。
2009年には電子情報通信学会の情報処理技術遺産に登録されるなど、日本のコンピュータ開発の黎明期に一つの足跡を残したものとして幅広く認知されています。

当時実際に使用したことがあるというOB運営サポーターの近藤 昭治さんにお話を聞いてみました。

■1957年3月に日本で最初のパラメトロン計算機MUSASINO-1(試作機)が完成、その3年後の1960年に商用機としてMUSASINO-1Bが完成しましたが、近藤さんはこのパラメトロン計算機を何に使用されていたのですか?
当時、ここ武蔵野の研究所で研究開発をしており、このMUSASINO-1(1B)は、後述の「M-1ライブラリ」の目次にあるとおり、134個のライブラリを活用できました。それらを組み合わせて自分に必要な計算を行っていました。私が最初に使ったのは、“位相比較器の特性”の計算でした。

1960年商用機として完成した「MUSASINO-1B」の当時の写真

まずは、鉛筆片手に、ライブラリを組み合わせて必要なプログラムを考えます。
そして、印刷電信機の部品を使って、1/2インチ幅の紙テープにパカンパカンと穴をあけて、そのプログラムを書きました。当時は16進法(機械語)を使っていました。
それから、MUSASINO-1(1B)の入力装置にそのテープを、読み込ませて計算していました。
ちなみに展示してあるのは、MUSASINO-1Bのほんの一部です。実際は写真の通り、ずらっと並んでいました。

■近藤さんのイチオシのポイントを教えてください。
1つ目は、日本独自の固体素子パラメトロンを用いた計算機という点です。
当時、真空管式やリレー式のコンピュータが使われているなか、パラメトロンの原理を使ったコンピュータは非常に注目されました。受動素子を用いるので故障が少なく、安定した運用ができたからです。
このパラメトロン計算機の原理は東大の大学院生であった後藤英一さん(後に教授)が1954年に発明されたされたものです。これは、正弦波の二つの位相(0相とπ相)を1、0に対応させるという全く独創的な着想による計算機です。

パラメトロン素子の写真

私は来館者の方にパラメトロンの説明をするために、常にポケットにこのパラメトロン素子をいれています。 パラメトロン素子は、ドーナツ状のフェライトコアにコイルを巻いたものです。

このパラメトロン方式は料金計算に使われたほか商品化もされたのですが、動作速度を上げられないことなどから、残念ながら数年でトランジスタ方式にとってかわられました。

「電気通信研究所 研究実用化報告 別冊第4号(1960年)」に掲載されていたM1ライブラリの目次の写真

2つ目は、MUSASINO-1(1B)で計算を行うときに活用された、ライブラリの多さです。
そこで、「電気通信研究所 研究実用化報告 別冊第4号(1960年)」に掲載されていたM1ライブラリの目次を展示説明資料として用意しました。
これはイリノイ大学の電子計算機イリアック(Illiac)のライブラリーをベースに電気通信研究所独自のものを追加したものです。

ごく初期のコンピュータでも相当複雑なことができたというところをぜひ来館者の方にお伝えしたいと思っています。

近藤昭治さんの写真

<近藤 昭治 (コンドウ ショウジ)>
1948年に逓信省電気試験所入省、
1976年横須賀電気通信研究所退職。
その間、主に電波伝搬やディジタル通信の研究を行う。
退職後は、九州芸術工科大学(現在の九州大学芸術工学部)、信州大学、東亜大学、ベンチャー企業でマイクロ波・ミリ波帯の測定器開発などの職をへて、2009年よりNTT技術史料館OB運営サポーターとして活躍中。

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